プノンペン生活17日目(派遣19日目)
本日は珍しく同期隊員全員でお出かけ。
というのも、カンボジアを知るうえでとてもとても大切な場所に行きたかったからです。
キリングフィールドとトゥールスレン博物館に行ってきました。
今でも、カンボジアというと「地雷」というイメージが強く残っている人が多いと思います。
「地雷」が埋められた一つのきっかけがこの「ポルポト政権」に大きくかかわっています。
みなさんは「ポルポト政権」や「クメール・ルージュ」って聞いたことありますか?
今から約30年前。
内戦が続いていたカンボジアに新しい政権が樹立しました。
それがいわゆる「ポルポト政権」です。
ポルポトは原始共産主義(階級や格差のない社会を目指し、カンボジア独自の質素で堅実な農村生活を行うべきという考え方)を掲げ、
食糧増産を図るため、都市住民から財産や身分を剥奪して、一人残らず農村に強制退去させました。
ポルポトは「階級が消滅した完全な共産主義社会の建設のためには、国を指導する我々以外の知識層は自国にいらない」と考え、学校・病院・貨幣・戸籍・書籍・宗教・音楽・映画・恋愛などすべて禁止し、一切の私財を没収。
さらに、知識層の排除のため、知識人とされる医者や教師など、知識人とされる人を次々に排除していきました。
次第に虐殺はエスカレートし、眼鏡をかけている、外国語を話せる人、本を読んでいる人、過去に海外に行ったことがある人という理由で知識階級とみなされ、虐殺されていきました。
このポルポト政権はたったの4年でしたが、
この4年の間に、当時のカンボジアの人口は約1/3に減りました。
ポルポトがなぜ原始共産主義を掲げ、なぜ国民大虐殺という行動にはしったのか、
詳細はわかりません。
ただ、自国民が自国民を殺すという悲しい出来事は世界でたった一つ。
このカンボジアだけです。
↑慰霊塔@キリングフィールド
キリングフィールドやトゥーンスレン博物館ではその虐殺の歴史が生々しく語られています。
実際に使われていた虐殺のための道具、
実際に使われていた虐殺後の人を収容するための穴、
実際に殺された人の写真の数々、
実際に地面にめり込んでいる虐殺された人の歯や衣類、
実際に赤ちゃんを打ち付け殺したとされている木、
正直、見て気持ちのいいものではないし、気分が重くなります。
実際にカンボジアに来た時に是非訪問してもらいたい場所。
なので、このブログには写真は載せないことにしました。
一見平和そうに見えるこのカンボジア。
けれど、
今でもなお、埋められた地雷は撤去されずに人々を脅かし続けています。
今でもなお、カンボジア人はこの時代の話題に触れることをタブーとする人もいます。
この時代の出来事は決して昔の出来事ではない。
カンボジアのことを知るうえで、決して避けては通れないポルポト政権のお話。
心の片隅にきちんと留め、これからの活動に取り組んでいきたいと思います。